課題 >> 4. 「親愛の情、現実性、コミュニケーション」 の記事の「現実性」のセクションを読んでください。

親愛の情、現実性、コミュニケーション

現実性

現実性は「そのように見えるもの」と定義することができます。 現実性とは、根本的に同意です。 私たちが現実であると同意するものが現実なのです。

物質宇宙における現実性とは、さまざまな経路を通した感覚のことです。私たちは何かを、目を通して見て、耳を通して聞き、鼻を通してにおいをか嗅ぎ、手で何かに触り、そしてそこに何があるかを判断します。 しかし、私たちがそれを知る唯一の方法は、自分たちのさまざまな感覚を通してであり、それらの感覚は人工的な経路なのです。 私たちは物質宇宙と直接には接触していません。 感覚の経路を通して、物質宇宙と接触しているのです。

それらの感覚の経路は鈍ることがあります。 例えば、人が失明すると、彼に関して言えば、物質宇宙に対する光や形や色や遠近感はありません。 それでもそれは、彼にとっての現実性であることに変わりはありません。しかし、それは他の人と同じ現実性ではありません。 言い換えると、彼は視覚がないので物質宇宙を完全に思い描くことができないということです。 人はそういった事物を感覚抜きで思い描くことはできません。 ですから、物質宇宙はこれらの感覚を通して認識されます。

ふたりの人がテーブルを見て、それがテーブルであると同意します。 それは木で出来ていて、茶色です。 その人たちはそれに同意します。 もちろん、ひとりは自分が「茶色」と言った時、他の人が「茶色」と聞いているのがわかっています。この男性にとって、実際茶色のものは「紫」かもしれませんが、その人は生まれてからずっと、人々がその色の波長を指して「茶色」と言っているので、それが茶色であることに同意しています。 もうひとりの人にとって、それは実は赤かもしれませんが、その人はそれが茶色であると認識しています。 ですから、このふたりは、違うものを見ているのかもしれませんが、 それが茶色であり、木製であり、テーブルであることに同意します。 次に3番目の男性が部屋に入ってきて、ふたりに近付き、「うわぁ! 象だ!」と言います。

ひとりが言います。「それはテーブルだよ、 いいかい、象というのは・・・」

「違うよ、これは象だよ」と3番目の人が言い返します。

それで、ふたりは3番目の男性は気が変だと言います。 その人は彼らに同意しません。彼らはその人とさらにコミュニケートしようと試みるでしょうか? いいえ。 その人はふたりの男性と同意しません。 その人はこの現実性に同意しないのです。 ふたりは彼に親愛の情を持つでしょうか? いいえ。「こいつは気が変だ。」 彼らはその人を好きではありません。 彼らはその人の周りにいたいとは思いません。

さて、ふたりの人が言い争っているとして、ひとりが「このテーブルは木製だ」と言い、もうひとりは「違う、 これは金属製で、木に見えるように塗装されているんだ」と言います。 彼らはこのことについて言い争いを始めます。彼らは同意点に到達しようとしますができません。もうひとりがやってきて、テーブルを見て、「本当は、この脚のところは木に見えるように塗装されているが、上面は木製だ。それは茶色で、テーブルだよ。」と言います。 最初のふたりの男性は同意に達します。 彼らは親愛の情を感じます。 突然、親しみを覚え、3番目の男性にも親しみを覚えます。 その人がその問題を解決したのです。 ふたりは同意に達し、コミュニケーションを始めます。

個人に関して言うと、現実性は自分が感じ取る知覚の解釈によってのみ構成されています。 例を挙げましょう。自動車事故に関する記述のように、異なる報告書を常に受け取るということから、このデータがかなり信用できないことが示されています。 この現象を研究した人たちは、さまざまな人間によって観察されたある情景に関してなされた証言の中に、信じられないほどの違いがあることを報告しています。 言い換えれば、現場を見ていた人それぞれによって、その状況の現実性が詳細にわたって異なっていたのです。 実際、広い領域にわたる同意というものがあり、それは極めて広いもので人類に共通した同意です。 ここは地球です。 私たちは人間です。 その自動車は自動車です。 それは複数の化学物質が爆発することによって前進します。 空気は空気です。 太陽は空にあります。 通常、事故が起きたという同意があります。 この基本的な同意の領域を超えると、現実性に対する異なった解釈があります。

実際のところ、現実性というのは何かに対するあなたの知覚から構成されており、現実性に対するあなたの知覚というのは、かなりの度合いであなたが他の人たちとコミュニケートできるものから構成されています。